『DIGGER/ディガー』
完全ネタバレ考察
小林真里(映画評論家/映画監督)
※未鑑賞の方はご注意ください。
イントロダクション
アカデミー賞監督賞を2年連続で受賞したメキシコ人監督、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが、トム・クルーズを主演に迎え、1億2500万ドルの製作費を投じた10年越しの壮大なプロジェクト『DIGGER/ディガー』は、ワイルドで野心的なブラックコメディだ。パワフルで自信過剰な石油王、ディガー・ロックウェルの傲慢な行動が原因で、地球滅亡につながるような世界規模の自然環境破壊と気候変動が生じるという、まさに我々が今生きる世界のリアリティを予見し映し出したかのような、過激かつディープな、スペクタクルな風刺コメディなのだ。
化石の愚者(Fossil Fools=フォッシル・フールズ)
序盤で、この映画は、実は劇中劇の舞台劇「化石の愚者」に焦点を当てた、入れ子構造の作品であることが明らかになる(オープニングで一瞬、静かに舞台の幕が開くシーンがある)。映画全体の中で舞台シーンが約8割を占める構造だ(現実のシーンでは映画のスクリーンサイズが少し横に大きくなる)。この舞台劇の主人公ディガー・ロックウェルは、騒々しく過剰な石油王で、彼を演じるのがカーティス・マークソンという俳優(演じるはトム・クルーズ)。これは約30年前にディガーが引き起こした、地球規模の未曾有の大惨事を風刺した舞台劇なのだ。
ディガーが経営する巨大石油採掘会社の無謀な採掘が原因でグリーンランドの巨大な棚氷が割れ、すごいスピードでヨーロッパに向かっていることがわかり、壊滅的な大惨事を止めるためディガーはアメリカ大統領コンプソンらとともに奔走するが、というストーリー。「化石の愚者」は、25周年を迎えたカルト・クラシックの舞台劇である(初演はロンドンでの3人芝居)。
この舞台劇の試演直前のスリリングなドレス・リハーサルシーンを軸に、カーティス・マークソンや舞台の演出家ハンナ、そしてこの舞台劇のプロデューサー、ケニーらの濃厚なドラマが加わり、現実と虚構(ほぼ現実に近い舞台劇)、現在と過去がダイナミックに交錯するメタフィジカルなコメディが『DIGGER/ディガー』なのだ。Fossilには「化石」や「時代遅れの人」という意味がある。Foolは「愚か者」の意だ。
ディガー・ロックウェル
莫大な富を持つ大富豪にして石油王。アメリカ大統領コンプソンとも深い繋がりを持つ。彼の祖父が1917年にテキサスで、10セントのシャベルを使って40日間掘り続けた結果石油を掘り当て、石油会社を創業。ディガーは世界的な影響力を持つ、その一大ビジネスを引き継ぐ。38歳の猫(人間の年齢に換算すると約170歳。ほぼ生ける屍状態)マギーに深い愛情を抱いている(が、その後死亡)。ディグ(Dig)は掘るという意味なので、生まれつき石油を採掘し続ける運命にあったのかもしれないが、結果世界は崩壊寸前に。ちなみに、歴史を振り返ってみると1917年10月にテキサス州レンジャーで大量の石油が発見され「レンジャー・オイル(石油)・ブーム」が幕を開ける(テキサスのオイル・ブームは1901年に始まった)。
カーティス・マークソン
「化石の愚者」でディガーを演じるベテラン俳優。演出家のハンナと、「真実」をどう描くかで激しく衝突する。妻アガサとの間に娘ホープがいる。ホープはジャマイカから父の公演を観るため飛行機に乗るが、カテゴリー6のハリケーンの影響を受け行方不明になる。カーティスは最初から最後までディガーのメイクをしているので、その素顔は明らかにならない。
ディガー・ロックウェルとロックフェラー一家
最初にディガーのフルネームを聞いた時にまず思い浮かんだのが、ジョン・ロックフェラー。19世紀後半にスタンダード・オイル社を創業し、一時はアメリカの石油の90%をコントロールするなど、石油王と呼ばれた大富豪だ。大財閥、ロックフェラー財閥の創始者でもあり、フォーブスの最初の長者番付で1位に輝いた人物。その資産額は現在の価値に換算すると2530億ドル(約39兆円)と言われている。ジョンの孫が、ネルソン・ロックフェラーだ。大学卒業後に家業に従事しベネズエラでの石油採掘に関わるが、その後政治家に転身。ニューヨーク州知事を経て、1974年に副大統領に任命される。ロックウェルつながりで言うと、ディガーが住む豪邸の窓から見える外の世界の風景は、20世紀を代表するアメリカの画家ノーマン・ロックウェルの絵画のように見えなくもない。ちなみにディガーの豪邸にはアメリカ西部開拓時代を描いた画家フレデリック・レミントンや、西部開拓時代の画家チャールズ・マリオン・ラッセルの絵画が飾られている。
ケニー・ロックウェル
「化石の愚者」の権利を持つ大富豪。その正体はディガーの甥。15年前にロンドンの寂れた劇場で「化石の愚者」を初めて観劇し、大きな満足感を得る。その後劇作家を探し出し、権利を獲得する。カーティスの娘の乗った飛行機が行方不明になったとき、彼に手を差し伸べ、自身が所有するセキュリティー会社を使って彼女の居場所を捜索する(携帯電話の番号だけで)。舞台上でカーティスとハンナの議論が白熱すると、これを仲裁し派手なスピーチを披露する。「化石の愚者」のクライマックスシーンで子供時代のケニーが登場し、船の上でカーティス演じるディガーと会話するシーンもある。「化石の愚者」でザンドラ・ヒュラーが演じているエマ・ロックウェルがケニーの母親。
実は劇中、ディガーと並んで重要なキャラクターが、このケニー。ディガーとは対照的に穏やかで一見親切な紳士で、「化石の愚者」を愛し情熱を注いでいるが、この舞台劇に莫大な制作費を投じ、世界的なセキュリティー会社を所有する富豪ということは、ロックウェル家の莫大な財産を受け継いだビジネスマンであり、ロックウェル家のレガシーは今も継続しているということになる。さらに「化石の愚者」でも金儲けをしている。ひょっとしたらケニーは地球を裏で支配しているのだろうか...?
演じるは『ブゴニア』(25)「ブレイキング・バッド」(08)の天才俳優ジェシー・プレモンス。
コンプソン
豪快なアメリカ大統領。直腸癌を患っており、死が近いことを悟っている。冷凍庫の中の最後の姿もショッキング。演じるは名優ジョン・グッドマン(『ブルース・ブラザーズ2000』『ビッグ・リボウスキ』)。グッドマンは『DIGGER/ディガー』について、「一枚の絵画だ。交響曲のようでもあり、アレハンドロが指揮者なんだ」と語っている。グッドマンは撮影中に転倒して、臀部を負傷し手術を受けたため、2日間撮影が中断されたが、すぐに現場に復帰したという。
エディー
気弱な副大統領。コンプソン大統領の死後、大統領に就任する。重要な会見でのとんでもない失言や髪型から察するに、ひょっとしたらドナルド・トランプがモデルだろうか?
演じるはマイケル・スタールバーグ(『シェイプ・オブ・ウォーター』『シリアスマン』)。スタールバーグは『DIGGER/ディガー』について「物語の中にはヒステリックな感覚と不条理さがある。同時に、人間性と地に足が着いた感覚もあるんだ」と述べている。
エマ・ロックウェル
「化石の愚者」に登場するディガーの妹でビジネスパートナー。ケニーの母親。演じるドイツ人女優ザンドラ・ヒュラーは、大ヒットSF『プロジェクト・ヘイル・メアリー』や、カンヌ国際映画祭コンペティション部門でお披露目されパヴェウ・パヴリコフスキが監督賞を受賞した『Fatherland(原題)』など、今年だけで出演作が6本公開されるという超売れっ子ぶり。アカデミー賞ノミネートの可能性もありそうだ。12月公開の『アベンジャーズ/ドゥームズ・デイ』にも出演している。
エンディング
ディガーが海に身を投げて、死にゆく姿を見て歓声を上げる観客たち(「地獄で焼け死ね!」「ファック・ユー!」)。舞台が終わると、カーティスの妻アガサが会場に到着し、ケニーのおかげで娘ホープが無事に発見されたことを夫に告げる。場内アナウンスで外の空気汚染レベルが「レベル4」だと告げられ、観客たちは近未来的な呼吸マスクを装着し、劇場を後にする。外は灰色のポスト・アポカリプティックでディストピアな世界が広がっている。その荒廃したニューヨークのストリートには兵士やドローンが行き交い、戦車が待機し、壊れたロボットや寂れた車が山積みになっているのが見える。壁には「COMPLIANCE
IS FREEDOM」(服従こそ自由)とスプレーで書かれている(これはジョージ・オーウェルが1949年に発表したディストピア小説「1984年」に登場する「Freedom is
slavery=自由は隷従なり」へのオマージュだろう)。劇場が位置するマンハッタンのアルバニー・ストリートはワールド・トレード・センターのすぐそばだが、これは偶然ではないだろう。
レファレンスと思われる作品
『DIGGER/ディガー』を観て、個人的に彷彿とさせられた作品を挙げてみたい。スタンリー・キューブリック監督が、近未来を舞台に核による世界滅亡を皮肉たっぷりに描いた白黒ブラックコメディ『博士の異常な愛情』(64)、巨大彗星が地球に衝突すると必死に訴える2人の無名天文学者の奮闘ぶりを描いた風刺ブラックコメディ『ドント・ルック・アップ』(21)、第3次世界大戦後の廃墟と化したパリで大戦の原因を探るため過去にタイムトラベルした男が1人の女性と出会うという、『ターミネーター』(84)や『12モンキーズ』(95)にも影響を与えたフランスの29分の中編SF『ラ・ジュテ』(62)、そしてトラブルに巻き込まれた宇宙飛行士が猿が支配する惑星に辿り着くが、実はそこは...というチャールトン・ヘストン主演のSF映画の金字塔『猿の惑星』(68)など。
VistaVision(ビスタ・ビジョン)
『DIGGER/ディガー』は、35mmフィルムを使用する高画質で高解像度のVistaVisionのカメラに、新しいワイドタイプのヴィンテージ・ライカ・レンズを装着し、撮影された。
画面アスペクト比1.85:1のVistaVisionは1954年に誕生し、アルフレッド・ヒッチコック監督の名作『めまい』(58)もこのカメラで撮影されたが、マーロン・ブランド監督・主演の『片目のジャック』(61)を最後にVistaVisionのプロセスを採用した作品は作られなくなった。しかし近年再脚光を集めリバイバルとなり、ブラディ・コーベット監督の『ブルータリスト』(24)やポール・トーマス・アンダーソン監督の『ワン・バトル・アフター・アナザー』(25)、ヨルゴス・ランティモス監督の『ブゴニア』(25)がVistaVisionのカメラで撮影された。『DIGGER/ディガー』と『ワン・バトル・アフター・アナザー』で使用されたのは、俳優で撮影監督のジョバンニ・リビシが所有するVistaVisionのカメラ。『DIGGER/ディガー』の基本的なアスペクト比は「1.5:1」だとイニャリトゥは語っている。
撮影
イギリス・ロンドンを代表するパインウッド・スタジオで2024年5月にプリ・プロダクションが始まり、11月7日にクランクイン。2025年5月3日にクランクアップした。スタジオには6つの異なるステージを使用し、30を超えるセットが作られては壊された。建設スタッフの人数は300人を超え、最終的な撮影スタッフの数は約600人だったという。
エマニュエル・ルベツキ
撮影を担当したのはメキシコ人撮影監督のエマニュエル・ルべツキ。『ゼロ・グラビティ』(13)『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(14)『レヴェンナント:蘇えりし者』(15)と3年連続でアカデミー賞撮影賞に輝いた世界を代表する撮影監督の1人。巨匠テレンス・マリックとも度々コラボしている。意外なところではウィノナ・ライダー主演『リアリティ・バイツ』(94)の撮影監督も務めている。
カズ・ヒロ
ディガーの老けメイクを担当したのが、京都生まれのメイクアップ・アーティスト、カズ・ヒロ。
ヒロいわく、人の外見は特定の時代と場所と明確に結びついているため、1920年代とそれ以前のテキサスの石油事業家たちの写真を数多く調べたという。また、このプロジェクトについて最初に思い浮かんだのが「スウェーデンを代表する映画監督ロイ・アンダーソンと、16世紀フランドル絵画の巨匠ピーテル・ブリューゲルの作品の構図」だという。ゲイリー・オールドマン主演の『ウィンストン・チャーチル』(17)とシャーリーズ・セロン主演『スキャンダル』(19)で2度のアカデミー賞に輝いた生ける伝説だが、今作でもオスカー・ノミネートなるか?
